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Rin'sPage 函館&佐藤泰志

2002年佐藤泰志を知るも本が絶版で、2005年まで函館に通い佐藤泰志探求をした*りん* (東京在住)のブログ。更新情報はツイッター @rinspage1 にUPします。

佐藤泰志少年の読書感想が凄い&函館で鮭の遡上を見た

1965年、佐藤泰志が中学生時代に書いた読書感想文「赤蛙」を読んでが、追想集「きみの鳥はうたえる」に掲載されています。少年らしく混乱している様子も書いてありますが、あまりに深い人生への考察と中学生とは思えぬ文体に、私は驚愕しました。文学に興味のない夫も「天才だ」と感嘆の声をあげた程です。今日はこの読書感想文についてご紹介します。

青文字は全て「赤蛙」を読んでから引用

 

●赤蛙は、急な流れに何度も飛びこんで、ついに死んだ。

●赤蛙が、何度も流れに飛びこんでいくのをみて、「私」は「馬鹿な奴だ」と言っている。ぼくも同感であった。

●「馬鹿な奴」が、そっくり、ぼくたち大半の人間、あるいは社会といったものに、あてはまるように思われてならなかった。

 

映画オーバーフェンスでも、白岩は戸惑いながらも聡と向き合う事に、飛びこんでいきます。「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」映画三部作は全て、馬鹿に見えようとも懸命に生きる人々にスポットをあてていて、他の小説もこの姿勢は一貫しています。私は、この一貫した姿勢が彼の作品の魅力だと思っています。

 

●赤蛙は多難な道に自らをつっこんで死んだ。だがその死は決して馬鹿げてはいない。

 

彼はこの後、2つの考えを書いています↓

 

●一つ目の考えは、このようにりっぱに死ぬことが、りっぱに生きる、ということにつながっていること、そして、赤蛙が大きな社会や自分の人生に、自分からいどんでいったのだ、ということである。

●二つ目の考えは、赤蛙がせっかくわたろうとする道を、社会といったものに、さえぎられるような場合もあるということである。/中略/   病気でからだを休めようと思う者には、まったく冷たい社会であるとか、とにかくそういう場合だ。

 

そして最後の方でこう書いています↓

 

●赤蛙は死んだが、そのために生まれ変わったものがいる。「私」である。そして、ぼくをはじめこの小説の読者たちだ。

 

小説には人の心を動かす力があるという事を綴っています。私は2002年佐藤泰志を知り、小説を読み、多くの事を学びました。小説の復刊、映画化と佐藤泰志が復活した今、中学生の彼が述べた通り、彼の作品が多くの人の心を動かしていますね。

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私はこの読書感想文を読んで、2004年10月に函館で鮭の遡上を見た事を思い返しました。

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函館駅から車で20分程の汐泊川へ地元の方と行きました。この川で生まれた鮭が4年程海を旅した後、 産卵のために川に戻り、受精・産卵を終えた後、死んでしまいます。

写真の鮭の赤い縞模様は求愛のための婚姻色で、受精・産卵時に近づくと色付きます。川に帰ってきた鮭を「ほっちゃれ」と呼び、脂が落ちて味は不味いそうです。

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川の流れに逆らって、傷つきながら一心不乱に上っていました。懸命に生きているのは人間だけではないですね。

12年前の体験ですが、今も遡上するんでしょうか。佐藤作品を読んでいると、またあの光景を見たいな、なんて思います。